誰もふれることなく終わったが
たぶん、みんなの心の中で祈っていたことだろう。
フェイスブックで同級生はもとより
過去に出会った方々で音信不通だった方の動静が判った。
当時、「浦島太郎の玉手箱を明けた後」の様に思った。
記憶の中では、20代の若々しい彼ら、彼女ら。
まだほとんどがシングルで。
いまや、子供がいて孫がいる(^_^;)
私の気分は彼らと比べると20代、10代の頃と変わらない
独り者とはそういうものだ。
そんな中での同級生の一周忌。
もうすぐ50才という節目の歳も近く
カラダの衰えも身を以て感じる。
ぐうたら喰ってねる自分を自分から解放するために
カラダを軽くして動き回る自分のベースを作る。
7月から始めたダイエットも
順調にはいかないが、水泳をやったりして
筋肉達に刺激を与える。
来年2月には初マラソンに挑戦することも決まった。
この歳だと若者みたいにグングンと体力の向上は望めないが
体力の劣化を抑えることは出来るだろう。
体力の劣化をおさえ、知力の劣化を防ぐ。
自分が少しは賢くなっていくように。
私は生きている。
頭もカラダも使わないと!!
使うのは私だ。
私が使う。
●追記
今日、訃報が。
私より一つした。
やりとりは無いが、こうやってFBは死の知らせも耳に入る。
FBをやっていなかったら
知らなかったろう。
その方をも知らずにいただろう。
ヒトの死というのは重いものだ。