今年の漢字は「金」だったが、自分のそれは「老」。

ホントは「死」にしようと思いもした。
昨日も一昨日元気に話をしたご近所のおばさんが急逝した。
FBで10年ぶりに会った元同僚、30年ぶりの同窓生が相次いで死去。

テレビでは有名人の訃報が次から次に。

まあしかし。それは、自分が老いたからだと気付く。
FBでは、浦島太郎が玉手箱を開いた時と同じ様な感覚に何度もとらわれた。
結婚して子供がいる同級生は、おばあちゃんになっていたり。


大学時代からと同じ様な生活を続けていて
FBを見ると彼ら彼女らの姿は
私が知らない時間の経過を教えてくれる。

私も老いたのだ。
死は老いた故に訪れる結果でもある。

私が老いていくということは
周りの人も老いていく。

2011年の震災で「無縁社会」という言葉も消えてしまった。
無縁社会とは竜宮城で饗宴を繰り広げていた浦島太郎が現実に向き合った時に生じた目の前にある現実。

それは仕方のないことなのだ。

物事には表と裏があり
見方によっては良くも悪くも。
どっちを取ったかは、取った人に責任を負わせる。

「老」とは、そういう私がちょっと目覚めた(気付いた)現実なんだよね。