想い出は「個人」の中で熟成され美化される
フェイスブックの登場で個人の中で勝手に思い描く「熟成期間」が無くなったというか
「想い出」は、あくまでも個人の中で勝手に思い描いたものであることに気付かされた。
そもそも人間は自分勝手な生き物である。
それを「考え方」のオリに閉じ込め
想い出に浸らせる。
しかし、フェイスブックは「熟成期間」を駆逐した
懐かしい人達は、やっぱりあくまでも懐かしい人達なのだ。
理由があって久しく縁が切れていたのだ
懐かしいを否定するものでは無いが
それは一瞬の瞬きであって恒常的なものではない。
一方で全ては「一瞬の瞬き」であるとも言えるのだが・・・・
その一瞬の瞬きに囚われるか否か。
一瞬の瞬きは「一瞬の瞬き」として遇しよう。
取り違えるとストーカーになってしまう。
ストーカーとは熟成期間は短くも
「想い出」が住み着いて囚われた囚人みたいなもの。
執着は冷静に対処しないと己を殺す。