フェイスブックは、「浦島太郎の玉手箱」だった・・・

facebookで高校時代の音信不通だった友人達と繋がった。

するとこれまで経験しなかったというか
目をつぶってきたコトが目の前に広がる。

「歳をとった」ということを
白日の下にサラシ、自分もまたそうであることを
認めざるを得ない。


浦島太郎が玉手箱を開けて
老人になってしまったが
私は、フェイスブックを開いて老人になってしまった。


しかし!


これが日常になれば
その刺激もルーティンとなり
また新たな事象が生じる。

それもそれで楽しみなのである